こんにちは、戸田です。
前回は概要について書きましたが、今回は出国に至るまで、どんな経緯があったのかを書いてみようと思います。
決意、なぜ2020 IMNZなのか
2017年9月、地方勤務から転勤で地元東京に戻ってきた戸田は、大学時代のトライアスロンチーム同期である小澤(IRON WILL代表)に声を掛けられ、トライアスロンを3年振りに再開することになりました。
「20代も後半戦、やればできたかもしれないのに、やってこなかったことに挑戦しよう」と決意、そのひとつがIRONMANへの挑戦でした。
大学時代
話を過去に遡りますと、大学2〜4年まで3回出場した関東学生選手権を勝ち抜けなかった私は、全国への切符を手にすることができず、小澤らの応援で全国大会を香川まで見に行くだけの不完全燃焼。
その後、学生生活も歯車が噛み合わなくなり「このまま流れるまま卒業したら何も残らない」と危機感を覚え、大学4年の後期を迎える前に1年間の休学を決意します。
そして「本当に自分がしたいことは何なのか」を自問自答すべく、当時の自分に関係していた全てを遮断し、初めて一人で海外に出向き、暫くホームステイしていたのがニュージーランドのオークランドでした。
それまでトライアスロンはショート(オリンピック・ディスタンス)しか出たことがなく、大学時代の夏合宿で挑戦したミドルはランの途中でリタイアという状況。
しかしオークランド滞在中にIRONMAN 70.3 AUCKLAND Asia-Pacific Championshipが開催されると知り一念発起。
タイムは5:38と平凡でしたが、初めてミドルを完走できたこと、そして何よりフィニッシュシーンを撮られた写真で、自分の表情がとても晴れ晴れしていることに、やってきて良かったなぁと思いました。
IRON WILLとの出会い
その後、大学を卒業して地方配属となり3年が経過、トライアスロンからは離れていましたが、東京に帰ってきて落ち着いた頃に、小澤に声を掛けられることになります。
初めてIRON WILLの練習に参加する前日、トライアスロンを再開するなら20代のうちにIRONMANに出よう、そして舞台はNEW ZEALANDと決め、3ヶ年に渡る私のIRON WILLでの物語が、東京体育館のスイム練から始まったのです。
1年目はトライアスロンが楽しいことだと思い返すべくショート2本にエントリー。
春に新島、秋に九十九里と、出場経験があった大会に出場するも撃沈。
また、マラソンの苦手意識を払拭すべく、ハーフ・フルとも3本ずつ出場。
12月の湘南フル、1月の新宿ハーフでPB更新。
2年目はチームメンバーも増え、サポートとして関東でのレースに帯同したり、夏合宿の企画運営を行いました。
トライアスロンを楽しむ仲間を目の当たりにして、かなりモチベーション上がりました。
一方、選手としてはIRONMAN 70.3 JAPAN、九十九里とミドル2本にエントリー。
これまた撃沈なので割愛。
また、IMNZへのエントリーは、申込開始とほぼ同時、1年前には申し込み、航空券や宿も早々に手配し、決意を固めていきました。
咋秋から辰巳杯での競泳や、鈴鹿エンデューロでのバイクなど実戦を積みつつ、
ランは2年連続で湘南フル・新宿ハーフでPB更新と、着実に練習とレースを積み重ねてきました。
新型肺炎COVID19の影響で国際情勢が揺れる中、3月4日の渡航直前まで「入国できるのか」「自己隔離対象にならないか」と不安な日が続きましたが、なんとか行って帰ってくることができました。
これが1週間後ろ倒しなら、大会は出られたけれど、その後にすぐ自己隔離。2週間後だったらレースに出ることはできませんでした。
決意してから
チームメイトにはエントリーした段階で「戸田はIMNZ2020に出る」と公言。
それが自分にとって良いプレッシャーになっていたと思います。
結果、頑張った分、チームメイトに応援していただけて、力になったと強く感じました。
IRON WILLでやってきて良かったと感じたこともたくさんありました。
次編では、出国までの半年間を詳細に振り返ります!